歩いたメモ

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過去の思い出、主に登山のメモを残すブログです

東海道はなぜ東陸道と呼ばれないのか。海の由来は?

東海道の東「海」とはどこの海が由来?

 
 東海道という名前の由来が気になってしょうがない。

 

 東海道という名称はもちろん古代のころに決められた五畿七道由来だ。

 

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五畿七道 - Wikipedia


 古代、日本の中心だった奈良あたりから見て東にあったから、東というところまでは分かる。
 しかし「海」というのは、どこ由来なんだ

  

 畿内(奈良周辺)から、各地域に移動するには、

 上記までは納得できる。

 

 しかし、東海道畿内と同じ本州で陸続きである。 

 東「陸」道と呼べばよかったんじゃないかと思う。

 実際に北陸道と名付けられている地域があるわけだし。

 

 検索してみても、この問題に対する答えは得られなかった。

 この疑問に対する、検索結果で出てきた答えを要約すると、

 古代から東海道と呼ばれていたから。なぜ東海というかはは不明。

 ということらしい。

 

 そこで自分なりに

 ・東の海とはどこか?

 ・なぜ東陸道でなく、東海道と呼ばれるのか?

 

 ということを考えてみた。

 

説1:東海とは、伊勢湾のこと


 東海道Wikipediaにて、以下のような説明を見つけた。

 ただし、木曽三川下流部は古来より水害が激しく、実際には船による移動に頼っていたと考えられ、あるいは飛鳥や平城京から鈴鹿峠を経由してそのまま伊勢国の港から伊勢湾を横断する海路が用いられる事も多かったとみられている。

東海道 - Wikipedia


 古代では、木曽三川を渡るのが難しく、船で伊勢湾を渡っていたらしい。

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*1
 このことから、畿内から三重から東側に移動するには海(伊勢湾)を渡るというイメージがついた。
 →東海=伊勢湾?

 

 これで疑問解決かな、と思ったがなんだか納得できない。

 他の説も考えてみた。

説2:東海とは、浦賀水道のこと

 五畿七道の画像を見てみよう。

 

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五畿七道 - Wikipedia

 

 気になる点がある、紀伊国(現和歌山)のことである。


 紀伊国は本州の陸続きであるのに、南海道である。

 調べると以下のような理由らしい。

 つまり、都のある大和盆地から見て、紀伊国は、
新益京(藤原京)〜<巨勢道>〜五条〜<南海道>〜和歌山
〜淡路〜阿波国、と続く「南海道」の一部なのです。

南海道に1国だけ本州の紀伊国が含まれていたのは何故ですか? - 離... - Yahoo!知恵袋

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*2

 紀伊国は土地自体が陸続きでも、四国の途中にあるから南海道の仲間入りしているということだ。
 この理屈を、東海道に当てはめてもう1度考えてみよう。

 

 そういえば古代における東海道は現代での東海道の定義とは違い、関東の南・東側の地域も含まれていた。

 加えて下のサイトの、ヤマトタケルの東征ルートを見て思ったのだが、

 相模(神奈川)から上総(千葉)方面に移動するのに海(浦賀水道)を渡っている。

ヤマトタケルの東征

 古代には武蔵国のあたりは湿地帯であり、安房、上総、下総に行くには海を渡ったほうが楽だったらしい。

 

 即ち、東海=浦賀水道

 その結果、浦賀水道に行くまでにある地域の伊勢(三重)~相模(神奈川)も東海道の仲間入りをした?

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 *3

結論

 自分が持つ知識ではこれ以上分からないな。

 これ以上考えても新しい説出てこないし、上記の仮説で納得しときます。

 多分伊勢湾=東海だろうなという気がするな。

 

*1:伊勢から先の地域へ行く経路のイメージ図

*2:四国へ行く経路のイメージ図

*3:相模から先の地域へ移動する経路のイメージ図